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まず宗教の勧誘に出会い、おまえは神に祈るであろう

2009/02/07

アメリカ人が自転車を漕いでいる。頭には大げさなヘルメットをかぶっている。服装はスーツ。

自転車、ヘルメット、スーツ。すべてがミスマッチだ。

街を歩いていると、たまにそんな光景を見かける。俺はそのたびに文化の違いというものをひどく感じて、あんなコーディネートでゴーサインを出してしまえるアメリカ人の大雑把さに脱帽していたんだけど、今日、真実を知った。あの人たちって、宗教上の理由でそうしてたのか。

国立から国分寺へと向かう道で、ヘルメットをかぶった二人組の外国人に話しかけられた。のっぽと、ちび。漫才コンビとしては100点だった。もっとも、それが宗教に勧誘する上でどう転ぶかは知らない。

のっぽが言った。

「ワタシたち、○○○○教の、フキューに、ツトめていマス」

宗教の勧誘に関しては、ほんと、他を当たってくれとしか言えない。どうあがいても、俺の心に、「神」って言葉は薄っぺらくしか響かない。日本という国のせいなのか、俺個人がそうなのかは知らないが。

「ワタシたちのシンじている、○○○○教とイウのはデスネ………」

内容はほとんど覚えていない。とにかくのっぽばかりが喋っていた。ちびは一歩引いて、穏やかな笑みを浮かべていた。俺はあまり強く断るのもなんだし、別に急ぎの用事があるわけでもなかったので、しばらく喋らせておいた。

「ソレデ、ボクタチ、こうして、おハナシを、してるのデスが……」
「はあ」

のっぽは、俺の反応が悪いことに気づいている様子だった。勧誘の言葉は勢いを失いかけていた。俺はそろそろいいかと思った。

「すいません、あの、ちょっと、用事が───

俺がそう言ったときだった。後ろで黙っていたちびが初めて口を開いた。

「ナイスジッパー!」

俺は最初、よく意味が分からなかった。あまりにも唐突だった。きょとんとしている俺に対し、ちびは俺のジャケットのジッパーを指差して、もう一度言った。

「ナイス・ジッパー!」

それで俺は理解した。こいつは、俺のジャケットのジッパーを褒めている。ジッパーを、褒めてくれている。

なぜ、ジッパー。

普通のジッパーだ。何の特徴もない、真っ黒なジッパー。黒いジャケットの黒いジッパー。そこにちびは何を見いだした。どんな魅力を、褒めるに足る何を、というか、俺という人間の全身を見た上で、ジッパー以外に褒めるところはなかったのか。

ちびは俺が喜んだと思ったのか、口角をぐにゃあっと上げて、満面の笑みを浮かべながら、ゆっくりと、言った。

「ナァ〜イス、ジッパァ〜」

やめてくれ。喜んでなどいない。微塵も喜んでいない。むしろ動揺している。激しく動揺している。なぜジッパーを褒められるのかが分からない。他のところを褒めてほしい。なのにちびは目を輝かせている。異文化交流に酔っている。俺は何かリアクションを取らなくてはいけないと思い、口を開く。

「はは、いやぁ、はははは……」

なんと平均的な日本人! びっくりするくらいに曖昧模糊としたリアクションしか返せない自分がそこにいた。そしてこの微妙な笑みは、完全に誤解されてちびに伝わる。

「ヘイヘイヘーイ、ナイスジッパー!」

違う! 俺とお前は、ぜんぜん意気投合できてない!

「ナイスジッパァー!」

以外で! ジッパー以外でほしい! せめてファッション! せめて俺のトータルコーディネートを!

「ナイスジッパー!」

のっぽまで! さっきまでたどたどしく日本語を喋ってたのに、解放されたように滑らかなイングリッシュ!

違う、俺、ぜんぜん喜んでないんだ。そこをいくら押されても、それで宗教に興味を持ったりしない。ジッパーを褒められたので入信します、みたいな、そんなストーリーを思い描かないでくれ。褒めても何も出ない! 謙遜とかじゃなく、そのまんまの意味で、そこを褒めても何も出ない!

「トコロデ、アナタハ、カミヲ、シンジマスカ?」

のっぽがしれっと話を戻した。ジッパー祭りは急速に盛り上がりすぐに消えた。俺はホッとした。ちびは後ろですごく満足そうに笑っている。「褒めたった」って顔だ。「コイツのええとこ、褒めたった」という顔。一仕事終えた顔になっている。そのまま缶コーヒーのCMに出せそうな、働く男の面構えだ。

「すんません、それじゃ!」

無理やりだった。俺は早歩きで二人の間を通り抜けた。強行突破しかなかった。申し訳ないとは思う。だがこれ以上、ジッパーを褒められるのに耐えられなかった。ジッパーを褒められることで、相対的に、俺の他の部分が、ズタズタになっていく。俺は振り返らずに歩いた。うしろでちびの声がした。

「ヘイ、ジッパー!? ジッパー!?」

名付けられている。完全に、名付けられている。勝手に洗礼名を、ジッパーという気高き洗礼名を授かっている。俺は生まれて初めてほとんど叫びそうな気持ちになった。

神よ!

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思い出と一緒に流れていって

2009/01/17

年が明けた。2009年がやってきた。性懲りもなく、今年も長い長い一年が始まる。

このあいだの大晦日は最低だった。俺の24年に渡る人生の中でも最低の大晦日だった。それについて書き残しておきたい。

12月31日22時。俺は一人で缶ビールを飲んでいた。つまみは厚切りのハムだった。なかなか良い気分だった。ほろ酔いでノートパソコンに向かい、去りゆく年について考えていた。途中、トイレに行ってうんこをした。2008年最後のうんこ、今年一年を締めくくるうんこだ。俺はうんこを流すと、再び部屋に戻ってビールを飲んだ。2008年は良い年だったんだろうか? 夏に大阪から東京に越してきた。随分と密度の濃い一年だった。だが、社会的には、売れない若手芸人が売れないまま一年を過ごしていただけだ。結果は何も残せていない。

ビールを飲み、ハムを齧り、思考は巡る。年明けが近づいてくる。俺は一人でビールを飲んでいる。一軒家は奇妙に静まり返っている。そういえば、相方は実家に帰っているんだ。尿意を催す。ビールを飲むとトイレが近くなっていけない。俺は立ち上がりトイレに向かう。ドアを開ける。異臭が鼻をつく。俺は便器の中に目をやる。そして衝撃を受ける。

さっきのうんこが流れていない。

俺は苦笑いする。やれやれ、2008年にとんだ忘れ物をするところだったな。俺はレバーを回し、再びうんこを流す。うんこは激しい水流に飲み込まれ、あっという間に藻屑と消える───

───かのように、思えた。俺は目を見張った。水流がおさまった時、そこには相変わらず、茶色い物体が存在していた。ぷかぷかと、まるで俺を馬鹿にするかのように。

うんこが流れない。

このうんこはなんなんだ。俺はもう一度、レバーを回した。水流。そして、うんこ、流れない。さらにもう一度レバーを回してみる。水流、うんこ、流れない。もう一度。水流、うんこ、流れない!

自我を感じる。うんこに自我が芽生えているように感じる。信じられないタフネスに度肝を抜かれる。そして俺は恐怖を感じる。トイレのレバーには、「大」と「小」しかない。そして俺はもう5回も「大」に回している。そのすべてにこいつは耐えている。どうすればいい。我がトイレの最大水力が効かない。こんなうんこは初めてだ。

俺は祈りを込めて、今日6度目の「大」を回す。水は大きな音を立てて流れ出す。激しい水しぶき。「大」だ。そう、こいつは「大」なんだ。TOTOはどんな願いを込めてこいつに「大」と名付けた? 大便を流すためだ。もしこの水流が効かないなら、それはTOTO社員の敗北であり、現代文明の敗北だ。うんこという悪魔が文明を討ち滅ぼすんだ。俺はじっと便器に目をやる。水流は激しさのピークを過ぎ、徐々に勢いを失っていく。そして、便所に静寂が戻る。便器の中の水たまりは、綺麗に透き通っている。俺は勝利の雄叫びを上げそうになる。おお、TOTO社員よ、あなたたちは勝利したのだ!

その瞬間、静かに、水中からうんこが浮かび上がってくる。俺は戦慄を覚える。頭の中でゴジラのテーマが流れ出す。不死身、不死身なのかもしれない。圧倒的、あまりに圧倒的だ。このうんこは圧倒的だ。俺が原始人だったら崇めている。確実にこのうんこを崇めている。「大」だ。俺は6回も「大」を回した。貧しい若手芸人が来月の水道代に怯えながら、「大」を6回も回したんだ。その結果、ひとつのうんこすら流せないのなら、文明とは、文明とは、文明とは何かね! 俺は大洪水を望む。すべてを洗い流してほしいと望む。これからトイレのレバーは「大」と「小」と「天変地異」だ。この3つを選べるようにするべきだ。

ゴーン……ゴーン……

遠くで除夜の鐘が鳴っている。目の前にはうんこが浮いている。年明けを目前にして、俺はもう一時間以上うんこのことしか考えていない。親が泣く。友が減る。いくつもの絆が失われる。この残酷な現実に俺はくじけそうになる。だが、負けちゃいけない。もはや酔いは醒めている。俺は決意する。年が明けるまでにこいつを片付ける。俺が生み出したこのモンスターにとどめを刺して、気分良く新年を迎える。俺は水中に浮かぶうんこを睨む。しばし、俺とうんこの睨み合いが続く。

俺は、「大」のレバーを回す。またしても激しい水流が、便器の中で暴れ出す。うんこは再び飲み込まれる。ここまではさっきと同じだ。さっきはここで手を止めたから駄目だった。そう、ここで、水流が勢いを失う前に、もう一度、レバーを「大」に回す! 「大」に「大」を重ねる!

前から温めていたアイデアではない。今だ、今この瞬間に、突如として閃いたんだ。俺は成長する。流れないうんこという好敵手を前にして、俺は俺の限界を超えようとしている。素晴らしい四字熟語がある。切磋琢磨! そう、俺はうんこと切磋琢磨している! 水流がおさまらないうちに、さらにもう一度、レバーを回す。三連続。大、大、大! これで無理なら俺の負けだ。潔く負けを認めて、神棚にうんこを祭るタイプの宗教にハマってやろうじゃないか。

激しい水しぶきが、徐々に静まってゆく。緊張の一瞬だ。俺は便器の中をじっと見つめる。静寂。透明な水。そこにうんこは影も形もない。だが俺は油断しない。勝利を宣言するにはまだ早い。やつは浮力を利用する。俺は静かに待つ。一瞬が永遠に思える。

どれくらいの時間が流れただろう。

うんこは、二度と浮いてこなかった。

俺は今度こそ勝利を確信する。人間の勝利、文明の勝利だ! ようやく俺はトイレを出る。そして部屋に戻り、残りの缶ビールを勢いよく飲み干す。勝利の美酒に酔う。そしてふと時計に目をやる。デジタル時計に数字が表示されている。

00:06

年は、明けていた。俺はうんこを流すことで、年をまたいでいた。東京郊外の一軒家で、誰と話すこともなく、ただ、独りで。

今年も、うんこみたいな一年が始まる。

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大学時代に印象に残っていることは何ですか?

2008/12/24

大学時代の記憶がほとんどない。

4年間だ。18歳から22歳までの4年間、俺は大学に通っていた。そのはずなんだ。なのに24歳となった今、思い出せることがほとんどない。そして中学の時にイハラさんの水色のブラが見えたことは今でもはっきりと思い出せる。俺の4年に渡るキャンパスライフは1枚のブラジャーに負けている。

工学部の建築学科だった。それは断言できる。

ひとつだけ覚えていることがある。たしか大学三年の七月だ。俺はテストのために徹夜で勉強していた。

構造力学という分野だった。鉄筋に一定の力を加えたとき、どれくらいひん曲がるのか。そんなことを計算で求めていく。はっきり言って興味はなかった。俺の建築への心は、ひん曲がるどころか折れていた。それでも単位は必要だった。眠い目をこすって勉強した。

この分野では、鉄筋の曲がり具合を、”たわみ”と呼んでいた。問題文の中にも、何度も何度もその言葉が出てきた。それは聞き慣れた言葉ではなかった。専門用語というほどではないだろうが。

深夜五時だった。あたりは静まり返っていた。俺は数時間後に控えるテストに怯えながら、ただただ鉛筆を動かしていた。次から次へと問題を解いていき、解法パターンを頭に叩き込んだ。そこでふと問題文に違和感をおぼえた。眠たい目をこすってまじまじと見つめた。

誤植があった。

「わたみ」と書いてあった。

たわみ、たわみ、と繰り返す中に、ひとつだけ居酒屋が紛れ込んでいた。

深夜五時のぼんやりした頭に、この誤植は革命的に面白かった。俺は笑った。誰もいない部屋で笑った。死んでいた心は瑞々しさを取り戻した。モノクロームの世界に鮮やかな色彩がよみがえった。わたみ、おお、わたみよ! 酒のひとつも出さずに、ここまで気分を昂揚させてくれるだなんて!

俺は救われた気分になった。緊張していた心がほぐれた。先ほどまでの切迫感が嘘のようだった。俺は満たされた気持ちですやすやと眠った。そして目覚めると夕方になっていた。テストは終わっていた。世界がひん曲がって見えた。

これが僕の、大学生活でいちばん心に残っていることです。

ぜひ御社で働かせてください。

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