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どうすれば、人は面白かったと送り手に伝えるようになるのか

2009/04/30

上田啓太日記になってから、文章の最後に、♥マークを付けている。押すとそのテキストに1ポイント入る。良いと思ったら自由に押してくれよな、ってわけである。

なんでこんなもんを付けたのか。

それは、みんなの心に巣食う「めんどくさい」に打ち勝つためです。

何かを読んで、良いと思って、送り手にその気持ちを伝える。それって素晴らしいことだなあと思うわけだけど、このアクションを阻む強力な敵が存在する。「めんどくさい」ってやつである。

めんどくさいと人はやらない

何かを見たときにわざわざ本人に感想を言うなんて死ぬほどめんどくさいわけで、世の中の大半の人はしない。インターネットユーザーの90%は積極的に書き込みをしたりせずただ見てるだけ、みたいな話がありますが、それはもう、本当にそう。私も90%のほうです。

だから、面白いと思ったときに、いかに簡単にそれを伝えられる仕組みを作るか。つまりどうやってハードルを下げるか。これが重要になってくる。

ということで、今日は面白さを伝える方法を色々と考えたので、めんどくさい順に書いていきます。

1.直接会って言う

そいつの家に行ってドアをがんがん叩いて、出てきた瞬間に肩を掴んで前後に揺すりながら「面白かったぞ!!!」と怒鳴る。最も原始的なコミュニケーションの形である。

ただ、これをブログで実現しようとするとまず自分の住所を公開しておかなくてはいけないし、そうしたところで実際にわざわざ感想を言いにくるアグレッシブな人間なんて松岡修造くらいだろう。

2.電話を使って言う

グラハムベルとかいう外人がすばらしいもんを発明してくれたので我々は電話ができる。だから面白かったときはそいつの携帯に電話をかけて、大地を揺るがすハイテンションで「面白かったぞ!!!」と叫ぶ。

ただ、これをブログで実現しようとすると自分の電話番号を公開しなくてはいけないし、そうしたところで、そもそもブログを読んでるだけで相手とは初対面みたいなもんなんだから、いきなり電話するなんてかなり勇気がいるし、実行するやつは松岡修造くらいだろう。

3.面白かったらパソコンに高速サーブを打ち込む

松岡修造くらいだろう。

4.手紙を送る

さあ、ここでついに松岡修造以外にも実現可能なコミュニケーションがあらわれる。

ただ、それでもやっぱりブログに住所をのせなくちゃいけない。それに、いちいち便箋にメッセージを書いて切手を貼ってポストに投函するなんて、そんな面倒な風習は昭和に置いてきてしまいたいの!!!

5.メールを送る

文明の進歩がインターネットを生み出した。これならメールアドレスを載せるだけでいい。

ただ、送る側からしたらやっぱハードルは高い。面白かったと一言だけ送るのはなんだか変な感じだから、最初に「いつも楽しく読んでます」みたいな挨拶をいれなきゃいけないし、最後にも「これからも頑張ってください」みたいな定型句を挟まなくちゃいけない。なんでコイツのうんこみたいな文章に対してそんなフォーマルなことしなきゃいけないのか。無理。

6.メールフォーム/コメント欄

さあ、どんどんハードルが下がってきた。メールフォームやコメント欄は、普通にメールを送るのに比べればかなりハードルは低い。一言だけ「面白かったです」と書いて送っても違和感はない。

やったぁ文明の勝利だ!!! と言いたいところだが、やはりそれでも、いちいちフォームのところまで移動して「おもしろかったです」って文字を入力するのはめんどくさいと思うんです。omosirokattadesu。けっこうたくさんキーを打っている。カロリーちょっと使う。無理。

7.♥ボタンを押す

そしてついに我々はここに辿り着く。もはや「面白い」といちいち打ち込む必要は無くなった。ワンクリックだ、たったワンクリックで面白かったという気持ちを伝えることが出来る。おめでとうございます。

ただ、正直、これでもめんどくさいと思うんですよね。私がかなりめんどくさがりの部類だからかもしんないけど、他のところでこういうの見かけてもあんまり押さない。ポインタをいちいち♥まで移動するのがめんどくさい。面白かったら笑って終わり。そのあと何かアクションを起こすなんてめんどくさい。

8.ディスプレイでリアクションを読み取る

だからもう、人間の自発的な気持ちに期待するのはやめて、勝手にリアクションを読み取っちゃえばいいと思うんです。

例えば、パソコンのディスプレイに、鼻息を探知する機能とかつけてほしいんですよね。面白いもんを見て笑ったときって、フッと鼻息が出るから、これを探知して自動的にポイントが入る仕組みにすればいい。鼻息の風圧に応じてポイントを変えてくれればベター。

ただ普通にしてても鼻息の荒い人ってのが一定数いるし(松岡修造とか)、そもそも「鼻で笑う」って言葉もあるように、嘲笑してるときも鼻息は出る。大量のポイントに浮かれてたら実は鼻で笑われてるだけだったなんて、そんなもん鼻の油がサウジアラビアばりに噴出する。うまくいかないもんですね。

9.脳波を読み取る

で、ブログに限らずあらゆるエンターテイメントの評価方法は、結局最後はここにいくと思う。脳のなかには「面白い」と感じたときに反応する部位があるはずだから、それを読み取って自動的にポイントを加算すればいい。反応すればするほど高得点だ。

ただ、受け手全員に脳波を読み取るための大げさなマシンを取り付けてもらわなくちゃいけなくて、そんなの何よりめんどくさい。

あと純粋に、そんなのを付けるのはイヤです。今日は彼との映画デートだっつって、めちゃモテファッションに愛されメイクで頑張っても、頭に脳波計測マシンがついてたら愛されません。

それに、プライバシー的にどうなの、って議論も確実に巻き起こる。脳波を読み取っちゃうわけだから。だって私なんて、「うんこ」って文字列を見ただけで確実に脳がめちゃめちゃ反応する。うんこ1個でハリウッド映画10本分に匹敵する脳波を出す自信がある。機械をつけてるせいでそれがすべて一瞬でバレる。そんなのお嫁に行けない。

めんどくさいには勝てない

要するに、人の自発的な意志に期待してもムダだけど、科学の進歩に期待するのも難しいという、悲劇的なところに行き着きます。どれだけ面白いと感じてもそれをしっかり送り手に伝えようとする人は稀です。システムの改善でできることには限度があります。変わるべきは仕組みではなくて人間のほうなんです。

結論

みんな松岡修造になろう!!!

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センター分けになれば世界は変わり俺は圧倒的にモテる

2009/05/21

中学一年の頃だ。俺はとにかくセンター分けに憧れていた。センター分けにすることがモテるための唯一の条件だと思っていた。いかに前髪をセンターで分けるか、寸分の狂いもなくセンターで分けるか、それが男性としての魅力を決定づけると信じていた。

そうだ。俺は激烈に勘違いしていた。

なぜセンター分けだったのか。しっかり覚えている。トランクスだ。俺はトランクスに憧れていた。日本マンガ史上に燦然とかがやく名作「ドラゴンボール」において、最もハンサムなキャラクターである。


▲トランクス。かっこいい上に強い。

当時のトランクス人気はすさまじく、男子がトランクスを好きになるのはもちろんのこと、ドラゴンボールをよく知らない女子ですらキャアキャア言っていた。中学生の俺はピンときた。これを見逃す手はないと思った。トランクスになれば圧倒的にモテると思った。そして俺にとって、<トランクス=センター分け>だった。

俺はトランクスの髪型を丹念に研究した。メンズノンノやSmartに向けるべき視線をジャンプコミックスに向けていた。そしてトランクスのセンター分けは通常のセンター分けと少し違うことに気づいた。図解しておこう。

そう、トランクスのセンター分けは、まず上にあがって、それから下に垂れているのである。

俺は鏡のまえで試行錯誤した。普通のセンター分けになっても意味はなかった。トランクスのセンター分けにこそ価値があった。だがとてつもなく難易度が高かった。前髪をいじってもいじっても、なかなかトランクスと同じ髪型にすることはできなかった。だれかがひとこと言ってくれればよかった。「それマンガだよ」と。

しかし誰も言ってくれなかった。俺は毎朝トランクスの前髪になるべく格闘していた。起床から登校までの短い時間が戦争だった。四苦八苦して改良に改良をかさねた。ドライヤーを試しワックスを試しジェルを試した。失敗の日々がつづいた。

「違う、こんなのトランクスじゃない!!!」

そう思いながら妥協して登校する毎日がつづいた。

だが少しずつコツがつかめてくる。けっして再現不可能な髪型ではないことが分かってくる。徐々に納得のいくセンター分けが作れるようになってくる。センター分けの完成度は日に日に上がっていった。そしてついに、シャワーで髪を濡らしてから、ドライヤーで形を作り、ヘアスプレーでガチガチに固める方法が最良だと結論づけた。

俺はついに、トランクスのセンター分けにたどりついた。

そしてモテなかった。信じられないくらいモテなかった。悪い夢かと思った。なにか巨大な悪が裏で糸を引いているのかと思った。ここまで高いクオリティでトランクスを再現している男子がいるのに、なぜ女子どもは見向きもしないんだろう、なぜサッカー部の林君ばかりがモテているんだろう。女子という生き物は全員もれなく頭が沸いているんだろうか?

そんなことはなかった。ただ純粋にかっこ悪いだけだった。

俺の中学時代はそんな風に過ぎていった。毎朝律儀にトランクスになっては、黄ばんだブリーフに向けられるような視線を浴びていた。中学時代の俺にとって女子は不可思議であり神秘であり謎であった。しかし高校生にもなると、俺は気づいた。センター分けは別にモテない。そこにエネルギーを注いでも何も見返りはない。むしろ、どうも、センター分けってダサい。そしてトランクスはマンガだ。

中学時代の俺を支えた<センター分けの男はモテる>という理論はもろくも崩れ去った。俺は新しい価値基準を必要としていた。モテるための理論をゼロから構築し直す必要があった。思考をめぐらせ高校生の俺はひとつの結論にたどりついた。<歌がうまい男はモテる>と。

そうだ。俺は激烈に勘違いしていた。

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ライク・ア・ローリングストーン

2009/06/01

あなたたちの中に、でんぐり返しをしながら週刊現代を読んだことがある方はいるだろうか?

この質問をして、もし手を挙げる者がいたならば、私は笑顔でその男と固く握手をかわすことだろう。なぜならば私がまさにでんぐり返しをしながら週刊現代を読んだことのある人間であり、それが誰でも経験することではないと知っているからだ。

ズクン、ズクン、ズクンズクン

話は90年代初頭にさかのぼる。私は小学三年生だった。当時、私たち家族は小さなアパートに住んでいた。家族があつまる居間があり、それ以外に三つの部屋があった。部屋はすべて居間に直結していた。なんたって小さなアパートなのだ。廊下などというものはなく、居間と三つの部屋をさえぎるのは、ただ一枚の薄っぺらな襖だけだった。

小学三年生、9歳、すこしずつ性への関心が出てくる頃だ。むろん、まだ何か具体的な行為に及ぶわけじゃない。だが、それでも、「女の人の裸をみるとおかしな気持ちになる」という事実は、動かしがたい圧倒的なものとして、私の前に立ちはだかっていた。

両親の寝室に、一冊の週刊現代があった。

ある日、両親が何かの用で出かけ、弟も友達とあそびに行って、家でひとり留守番をしたことがあった。私はここぞとばかりに家を探索していた。そして、鬱蒼と生い茂るジャングルに分け入るかのような気持ちで両親の寝室の襖を開けたとき、週刊現代に出会ったのである。表紙には綺麗な女がうつっており、ゴシック体の扇情的な見出しがおどっていた。政治経済に関するものから芸能人に関する俗っぽい話題まで、さまざまな文字が一体となって、これが「大人の読むもの」であることを主張していた。

純粋な好奇心でその扉を開いた。そしてとんでもないものを手にしたことを知った。週刊現代は、巻頭からヌードグラビアを掲載していたのだった。はだかの女が微笑みながら立っていた。自分の心のなかで一匹の虎が目を覚ますのを感じた。虎はむくりと起き上がり野蛮な雄叫びをあげた。私は食い入るようにヌードグラビアを見た。ズクン、ズクン、ズクンズクン…。心臓が聞いたことのない音を立てていた。なにかが始まろうとしていた。9歳の私は、明らかにそれまでとは違う何かになろうとしていた。

ふいに玄関で鍵をあける音がした。予期せぬ方向から不意打ちをくらった。無意識の判断が身体をうごかした。私は週刊現代をとじて、三歩で居間にもどっていた。そしてあたかも一日中そこにいたかのような顔で振り返った。両親が立っていた。

「おかえりなさい」

これが、私と週刊現代の出会いだった。

ギュルン…ギュルン…ギュルンギュルン…

週刊現代は私の心にまとわりついて離れなかった。あれから数日が経っていたが、目を閉じるとあの名も知らぬ裸の女が微笑んでいるのだった。彼女と再会を果たしたかった。そして彼女は会おうと思えば会える距離にいた。我々はひとつ屋根の下にいる。両親の部屋で、もう一度あの週刊現代をひらきさえすればいいのだ。

だがそれが困難なことであった。両親の寝室というのは、この狭いアパートにおける秘境であり、魔境であり、テラ・インコグニタであった。そこに入るには相応の理由が必要であり、なんの説明もなしに居間と寝室の境界線を超えようとすれば、母に「どうしたの?」と尋ねられるであろうことは目に見えていた。私はあの日のように家族全員が出かける日を待った。来る日も来る日も辛抱づよく待った。だがあれは一種の奇跡だった。あのころ母はまだパートをしていなかったし、弟と私は二人とも小学生で、似たような時間に家に帰っていた。その小さなアパートには常に誰かが存在していた。

考え方を変えるしかなかった。いつまでも幸運を待っていても埒があかない。家族がいたら両親の部屋に入れないのか? そんなことはないだろう。いちど入ってしまえば、構造上、私がその中で何をしているかは居間から見えない。なんとか部屋に入る口実さえ用意すれば、あとはなんとかなるはずだ…。ギュルン、ギュルン、ギュルンギュルン…。鋭い音をたてて頭脳が回転していた。突破口はあるはずだった。

ある雨の日の体育の時間、マット運動をしていた私に、悪魔的な閃きが降ってきた。

夜、居間に集まって食事をしていた。父はまだ仕事から帰っていなかった。母と弟と私の三人でテーブルを囲んでいた。テレビでは何か歌番組をやっていた。私は口をひらいた。

「体育でマット運動しとるんやけど、ぜんぜんうまくいかん」

弟はテレビに夢中で聞いていない様子だった。母は「あら、そうなん」とだけ言って、きゅうりの酢の物を口に運んだ。私は覚悟を決めて切り出した。

「ちょっと、お母さんたちの部屋借りていい?」

「なんで?」

「でんぐり返しの練習しなきゃいかん。でも俺の部屋は狭いから」

これが上田啓太九歳の頭脳による最高到達地点だった。今思えばあまりにも低い。だが母親はあっさりと、「いいわよ」と言った。拍子抜けするほど簡単に、両親の部屋に入る許可がおりた。食事を終えると、私は箸をおいて立ちあがった。「あんた、食べてすぐはやめときなさいよ!!」という母親の声を背中で跳ねとばし、三歩で両親の部屋に入った。

ゴロン、ゴロン、ゴロンゴロン!!

両親の部屋はあの時と何も変わっていなかった。襖を閉めたかったが、それはできなかった。わざわざ部屋を閉め切ってでんぐり返しの練習をするのは不自然だと思った。母親によけいな違和感を与えたくなかった。襖はあいていたが、構造上、私のすがたは居間から見えない位置にあった。それだけ確認して、部屋の奥に目をやった。

週刊現代という名のヴィーナスが、以前と変わらぬ姿でそこにいた。虎は牙をむき出しにした。もう何週間も週刊現代のことだけ考えて生きてきたのだ。ついに辿り着いたのだ。圧倒的な力が今すぐそれをひらけと命令していた。だが、一方で冷静な視点が残っていた。私は両手を前にだして、頭から地面に飛びこんだ。

ゴロン。

自分が「前転の音」をさせていることを確認した。でんぐり返しの練習をすると言って部屋に入ったのに、物音ひとつしなければ、母親に怪しまれる。もちろん居間から私の姿は見えない。だからこそ、「音」がポイントになってくる。私は、「音」で居間にいる母親を騙さねばならないのだ。

ヌードグラビアを今すぐ開きたい衝動を必死で抑えつけながら何度もでんぐり返しをした。前転しては起き上がり、再び逆の方向へ、わざと大きな音を立てながら。それは息子から母親へのメッセージだった。母さん、前転しているよ、9歳になった啓太は今まさに前転しているよ、だってそれだけのために、あなたたちの部屋に入ったんだから!

五度ほど前転した私は、こらえきれなくなって週刊現代を開いた。ヌードグラビアを見た。やっと会えた、やっと会えた!! ふたたび巡り会えたんだ。もう無理だと思ったこともあった。二度と週刊現代をひらけないと覚悟した夜もあった。でも、諦めなければ、夢は叶うんだ!

私は夢中になった。何度も思い描いた姿がそこにあった。はだかだった。正真正銘のはだかだった。前回はいいところで両親が帰ってきた。心ゆくまで見ることができなかった。だからこそ感激もひとしおだった。わずか5ページほどのヌードグラビアを何度も何度も見た。めくってめくってめくって、最後まで辿りついたら再び最初へもどった。はだかの女は様々なポーズをとっていた。そのすべてが刺激的だった。私はなんだか辛抱たまらなくなってきた。

だが、そこでふと我に返った。

いけない、もう長いこと、前転をしていない!!

焦った。どれだけの時間、前転せずにすごしていただろう。母親が怪しんでいるんじゃないだろうか。きっと確実に怪しんでいる。週刊現代を閉じると、急いででんぐり返しをした。さっきよりさらに大きな音をさせて回った。ふたたび、母親へのメッセージだった。母さん、僕は前転をしているよ。今ちょっと前転してなかったけどそれは休んでいただけで、こうしてふたたび前転しているよ、だって、そのために僕はこの部屋に入ったんだから!

油断すると週刊現代に夢中になってしまうことを学習した私は、新たなやり方を採用することにした。前転を三回したら、週刊現代を一回開く。しばらく週刊現代を楽しんだら、再び前転に戻る。そこまでを一連の流れにしてしまう。それが、たったひとつの冴えたやり方だった。

落ちつけ、落ちつけばすべてうまくいく。週刊現代に夢中になりすぎてはいけない。クレバーになれ、母を騙しつつ週刊現代を読むんだ。前転しながらそう自分に言い聞かせた。欲望と理性がせめぎあっていた。週刊現代が欲望であり、でんぐり返しが理性だった。回って、回って、回って、凝視! でんぐり、でんぐり、でんぐり、ヌード! 心の中でリズムを刻みながら何度も回った。でんぐり、でんぐり、でんぐりヌード! でんぐり、でんぐり、でんぐりヌード! でんぐり、でんぐり、ああもうまどろっこしい!

たしかに週刊現代を見たかった。渇望していた。でも違う、こんなの俺が求めていた週刊現代じゃない。前転しながら週刊現代を見ても、なにがなんだかよくわからないし、目はまわるし頭はくらくらする。でんぐり返しは段々と雑になり、身体の節々を変なふうに畳にぶつけている。だが前転をやめれば母親が怪しむ。

八方ふさがりだった。もはや、自分ではどうすることもできない大きな流れに巻き込まれていた。

畳の上で何度も前転しては週刊現代を読んだ。自分でも何がしたいのかよくわからなくなっていた。はじめに思い描いていたのがこういう形でないことだけは確かだった。もっと落ちついて週刊現代を楽しんでいるはずだった。静かにヌードグラビアを堪能しているはずだった。こんなにアクロバティックな状況になるのは計算ちがいもいいところだったし、アクロバットとエロの相性は致命的なほど悪かった。

ゴロン、ゴロン、ゴロンゴロン!! 何度もまわる、私はまわる、まわっては見て、見てはまわって、不自然なほどに大きな音を立てながら、全身に鈍痛を感じながら、軽い脳しんとうを起こしながら、まわる、まわる、まわるまわるまわる。前転してヌード見てまわる。でんぐり返って、エロくて、前転して前転して、前転したらエロくてヌードがエロくて、でもバレないように前転して前転して前転して、それからご褒美にヌード見て前転して前転してもうイヤだ!!!!!!!!!!!

週刊現代を元に戻すと三歩で居間に戻った。息はあがり髪はぼさぼさになっていた。うんざりしていた。世界のすべてにうんざりしていた。今すぐ殺してくれと思った。もう二度と週刊現代なんか見るもんかと思った。ハアハアいいながら居間に戻ってきた私をみて食事を終えた母は緑茶をすすりながら言った。

「がんばってたみたいねぇ」

おい!!!!! もう少し息子を疑え!!!!!!

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